八丈島の旅の記録

旅の記録

2023年に行った、八丈島の旅行記録です。

八丈島に行った理由

2023年の11月末から、15日間八丈島に滞在しました。主な目的は、自分と向き合うためです。

10月末に派遣の仕事の契約が切れ、その後も思うように仕事が見つからず、家で自分と向き合おうとしていたら、色んなストレスが溜まり、半ば衝動的に…という感じでした。

色んなことがわからなくなり、自然の中に行ったら自分の感覚も取り戻せるだろうか、自分の中がクリアに見せるだろうか、と思い、そこまで交通費がかからずに行けて、長期滞在できる安い宿がたまたま空いていたのが八丈島でした。

2週間の滞在を通して、迷走ばかりだった、20歳になってからの今まで6、7年間のうちの、失敗した(と思っていた)こと、後悔や両親への気持ち、そして自分は本当はどうしたいのかという気持ちに向き合いました。

そもそもそれをやりたいと思っていたのも、八丈島の滞在中に27歳の誕生日を迎え、20代が残り3年間となるからです。

今まで心の中に抱えていたお荷物のような感情、後悔や恥ずかしさも、もう重たくて持って行くのが面倒くさいと思い始めていました。

そして、今年新しく始めようとしたことも結局しっくり来ず、自分は本当はどうしたいのか、価値観もやりたいこともわからなくなっていたので、何もかもから一旦離れてクリアにしようと思いました。

20代これまでのこと 

ざっくり上げると、大学に入学してから今までの流れはこんな感じです。

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【大学5年間】

芸術大学に入学。周りは優秀、奇人変人ばかり。

それまで持っていた自尊心が崩れ、3年生の時、劣等感で「死にたい」という気持ちが止まらなくなり、精神科に通い始める。

大学4年生の時、両親の家庭内別居が始まる。

【卒業後1年目】

学内で多少自信のついた演技の道に進もうと思って卒業。しかし一歩外に出れば実力はおろか、お芝居が好きという気持ちや覚悟すら無名の役者さんたちの足元にも及ばず、6月に劇団の演出家に役を降ろされる。

短時間のコンビニアルバイトと、バイト代わりにTVや映画のエキストラを兼ねるも、秋頃からこのままでいいのか焦り始める。

どうしても就職に抵抗があり、本当にやりたいことを見つけるまでの間、まずフルタイムで働く練習をするために年明けからリゾートバイトに飛び出す。

【卒業後2年目】

沖縄・北海道・長崎の離島、大分を回る。

5月に母が家を出て一人暮らしを始める。

1ヶ所目を終えて、結局知らない世界を知るのが好きと知り、就職前に気が済むまでと、1年5ヶ月続ける。

しかし、就職していない自分はダメだ、大人にならなければと自分を演じ続けるのに疲れ、さらに生きたい場所も行き尽くし、翌年5月に実家に戻る。

【卒業後3年目】

肩の力が抜ける。結局自分は就職したくないのだということに気づく。埼玉の実家にいながら、興味のあることを色々やってみようと行動してみる。

リゾートバイトに飛び出してから、落ち着きたくて始めた瞑想を本格的に習ってみたいと思い、オンラインや都内のマインドフルネスサロンのレッスンに通い始める。

この年、12年間でいちばん良い運気だったこと(六占星術)、さらに春頃ある占い師さんから「遊べば人生変わります」と言われたことから、色々やろうとする。しかしどうしたらいいかわからず時間ばかりがどんどん過ぎる。

前年旅をした反動で、今度は自分の内側を見れば向かう道が見つかるのではないかと、MSC(マインドフル・セルフコンパッション=自分に思いやりを向けるトレーニング)の8週間コース、ヴィパッサナー瞑想(身体感覚を観察する瞑想)の10日間の合宿に参加。しかし、本当の気持ちとは違うことをしてしまい、結局期待した結果にならず。

さらに一番やりたいと思ったヨガの200hTTC(講師養成講座)を、MSCの代わりにキャンセルしてしまい、後悔に苛まれる。人生を変えることができず終わる。

【卒業4年目】

前年リゾートバイトで増やしたお金を使い切ってしまい、お金を立て直しながらもう一度落ち着いて今後の計画を立てようと、派遣の事務職に就職。しかしミスばかりで、8ヶ月で更新が打ち切られる。

一方、職場の同期の繋がりで、自分のしたい生活ができそうな仕事を始められそうになったが、10月に本格的に始めるも、コミュニティにいる人々や仕事内容に違和感を感じ、メンタルを崩し進めなくなる。

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ここまでが2023年11月後半までの流れです。

ここまでをもう手放したいと感じていたのと同時に、年内に理想のあり方もひとつ決めようと思っていました。以前、お世話になっている方に、「何をやりたいかよりも、自分がどうありたいのか、理想のあり方をひとつ決めるとブレずに進める」という助言を頂いていたからです。

今年はそれをひとつ決めようと決めていたのと、今後自分は本当はどうしたいのか、今の時点での価値観もはっきりさせたいと思っていたので、滞在中にそれをやろうと思いました。

滞在中に分かったこと

滞在中は、時折ジャーナリング(=自分の思考や感情を整理する書く瞑想)をしながら、まずは数日間かけて、好奇心の収まるまで島内の気になる箇所を回りました。ただ1週間ほど経ったところで、向き合うことに疲れてしまい、そこから4日間ほどほとんどジャーナリングをせずに心のエネルギーチャージに専念します。最後の5日間で毎日、南原千畳敷という溶岩剥き出しの海岸に通い、ジャーナリングや瞑想などをしながら自分と向き合いました。

島に滞在する中で、自分は本当の気持ちが分かり、過去自信を無くした時の感情や、今まで受け入れられていなかった現状にも気づくことができました。

まず私はずっと、生きていくことが嫌だと思っていました。お金も仕事も家の心配もあるし、生きていくことの苦しみや困難も、嫌だと思っていました。

これまで色々と試してきたつもりで、どれも違うと思っていました。でも実際自分がこれまで試したものの数は少なかったです。早く結果を出そうと焦る分、違うと思った時の落胆が大きかったのだと気づきます。私はまだまだ、「違う」と思うものの数を出せるし、失敗の数も出せると気づきました。

大学時代に自信をなくした時のことを振り返った時は、その当時の悲しみや、途方に暮れた恐れのような感情が溢れ出てきました。南原千畳敷の溶岩の上で泣き尽くしたら、前を向く気持ちになりました。芸大生にはあまりなれなかったけど頑張ろう、と、今まで恥じていた大学時代のことがほとんど気にならなくなりました。

また滞在12日目の夜に、普段受けているマインドフルネス瞑想のレッスンを受けました。考え事だらけだったオープンモニタリングの後、今まで問題だと思っていたことが大して問題ではないように思えました。試しに、2年半前から別居をしている両親のことを思い出してみたら、「まぁ人だし、人生だし、しょうがないよな」と思いました。するとわぁ〜っと涙が溢れてきました。

今まで、自分が色々とうまくいかないのを不仲の両親のせいにしていて、両親のせいにしている自分の気持ちに滞在中向き合いたかったのですが、それまで自分は、両親が別居しているという事実をそもそも受け入れられていなかったのだということに気づきました。

それを引き金に、腹筋が痛くなるくらいお腹に力がこもって、これまでお腹に溜まった憎しみや怒りや悲しみの感情が溢れてきました。いくらでも付き合うと自分に声をかけながら、1時間半ほどかけて泣き尽くしたら、両親が別居していることについて何も思わなくなりました。

夕日と星空観察をしようとしていた14日目、偶然双子座流星群のピークがかぶりました。寝っ転がって、いつ降ってくるか分からない流れ星を待ちながら、「流れて欲しい」と思う自分のエゴを思いました。

自然はコントロールできない。今まで小さな自分の思考の中でやってきたなあ。いつもこんな風に旅先で遠い目をしてしまうのは、まだ自分の手で何も作り上げていないからだなぁ、と思いました。そしてこれからは、もう少し運ばれるように、自分のエゴを超えた範囲で進んでみようと思いました。

また最終日、ある心理学系のYoutuberの方の動画で、後悔を手放す方法を知りました。それは、それまでの自分に「最善を尽くしてくれてありがとう」と、胸に手を当てながら感謝するというものでした。

南原千畳敷の溶岩の上で試しにやってみたら、涙がばぁ〜っと溢れてきました。もう少しで後悔は手放せる状態だったけれども、特に去年、人生を挽回しようとして失敗した後悔も、ここで最後に手放すことができました。

またもうひとつ、帰るまでにひとつ決めようと決めていた、自分の理想の在り方について、しっくり来る言葉がまだ見つかっていませんでした。南原千畳敷に沈む夕日の前で、「しっくり来る言葉が思いつかないので教えてください」と宙に放り投げて、溶岩の上に立っていたら、眼下の海の荒波の上を、2羽の黒い鳥が横切るように飛んでいきました。それを目で追っていたらふと、「味わいたい」という言葉が聞こえました。

あぁ、自分は生きることも世界も味わいたいんだな、と思ったら、涙が出てきたので、それが本音だと分かりました。

経済的に自立もしていなかったし、生きていくことも嫌だけれど、その本音を知った時、あぁ、自立しようと思えました。もし心身が健康なら、自立しなければ人生も味わうことができないからです。

その日の夜、今の時点での価値観なども全て整理し、翌朝帰りの船に乗り込んだ時は、旅の目的を果たせたことにほっとしました。

八丈島の旅を終えて

結局、最後にまとめた自分の価値観や、これからやることは、島に来る前に一旦出していた答えとほとんど変わりませんでした。結局、20代最後の3年間に向けて進む前に、それまでの過去や絡まっていた感情を、一旦整理して手放すことができていたか、できていなかったかの違いだったのだと思います。

滞在中、自分は本当はどうしたいのか、何度問いかけても同じ答えが返ってきました。それは「広い世界を見たい」ということです。

見知らぬ土地で色んな世界を見たいし、色んな人に会いたい。そして、20代の終わりにはやっぱり世界一周、少なくとも体力のあるうちしか行けない海外を回りたい。だから、20代の残りは、経済的な基盤を整えながら旅を続けることにしました。

両親のせいにしていたのは、両親のせいにしていれば、自分は無力になれて、現実に立ち向かわなくて済むからです。でも、大学時代に自信をなくしてから自分はできないと思っていたけれども、本当は自分にはできるし、自分にはその力がある。

生きていくのも嫌だし、人生や世界には苦しみもいっぱいあるけれども、私ならば、世界の美しいものを見ることもできるし、乗り越えることができるし、希望を持つこともできると思いました。

来年2024年からのこと

来年からは、1月からまたリゾートバイトを利用しながら家を出て、後々生活の基盤にする仕事を副業としてまず始めます。また、3月から6月にかけて、昨年やらずに後悔したヨガの200hTTCの合宿に参加します。

TTC費用も全額自分で負担しようと思ったのですが、恥ずかしいことにそのTTCのお金をすぐに賄えず、父親に一旦借りることにしました。TTCが終わったら、父親に返すお金を貯めながら、英語が接客で使えるリゾートバイトを始めます。

2025年の4月末までに、父に全額TTCの費用を貯めて返します。そしてそこから副業の分も合わせて世界一周の費用の準備を始め、早ければ2025年の冬、遅くとも2026年の3月までに世界一周に行きます。

島から帰ってきてから、世界一周に向けて英語コーチングを受け始めました。このブログを書いて、あぁ、自分はまだ旅の途中だなと気づけたので、頑張りたいと思います。

最後に

最後に、八丈島の滞在中に、エネルギーをくださった思い出に残っているものを挙げます。

【八丈島の思い出】

・宿のオーナーさん、スタッフさんたちとの会話

・路線バス車内での地元の人たちのやり取り

・路線バスの運転手さんの気遣い

・試行期間中だった、AIデマンドタクシーの運転手さん、及び乗り合わせた地元の方との会話

・カフェの店員さんとの会話

・ケーキ屋さんとの会話

・農産物売り場で、店員さんが新聞紙に果物を包んでくださったこと

・ネイチャーヨガリトリートの体験、及びインストラクターさんの生きるのがラクそうな姿

・島の猫たち

・八丈富士の中央火口丘までの冒険

・裏見ヶ滝

・八丈植物公園の温室内の植物

・南原千畳敷の夕日

・南原千畳敷の溶岩

・双子座流星群

・島の空気

八丈島に来なければ前に進むことも出来なかったので、行ってよかったと思いました。

ありがとうございました。

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