特別でもなんでもない日のごはんを、なぜかいつも写真に撮ってしまう。数年前からの私の癖だ。
最近は転職活動中で、時間があった。だから毎日色んなものを作って食べた。

私のごはんはよく、YouTubeで出会った人たちに影響される。
モデルさんに憧れれば、モデルさんの真似をする。

これは、あるモデルさんが朝に2つもゆで卵を食べていたから。

これも。

これは、あるバレリーナが朝ごはんに食べていた、アボカドにポーチドエッグを乗せたトーストが美味しそうだったから。

この時は、アボカドの代わりに姉からもらったオーストラリア土産のベジマイト。


とにかくタンパク質たっぷり、に触発された。
ただし、いつもヘルシー志向かと言えばそうではない。

元気なお年寄りが、洋食の朝ごはんを食べているのに憧れた。

朝ごはんはもともとそんなに食べない派だ。
しかし、朝からしっかり包丁とフライパンを使って作る人たちを見て、私もやってみたい!と思った。

もちろん、誰にも影響されない時だってある。
私は納豆パスタが好きだ。

これは、パスタの代わりに蕎麦を炒めた納豆蕎麦。

持っているありったけのスパイスを使って、カレーを作ってみようと思った。
正直塩味が足りなかった。しかしスパイスをたくさん使うと、心なしか体がスッキリする気がする。


たまにお薬のようなつもりで、おにぎりを作ることもある。
…とまぁこんな風に、色んな方の食事を見て、色んなものを食べている。そんな中で最近、「結局身体に良い食事とは何なのだろう?」という疑問が、ジワジワ自分の中で湧いてきた。
例えば、肉でも乳製品でも加工品でもなんでも、毎日こんなものを食べて御年90歳!?というようなお年寄りがいらっしゃる。
しかしそういう元気なお年寄りと、同じものを食べても心身を崩すような方々(基本私もこちら側である)の違いはどこにあるのだろうか?
そう考えて最近、自分なりにある結論に至った。
もちろん体質や遺伝もあるだろう。しかし、それ以外にも恐らく、
「食べること=生きる喜びとして感じているか?」
「そもそも生きること自体が喜びとなっているか?」
もし同じものを食べたとしても、食べること自体が喜びになっているか、ストレス解消になっているか(たとえ自分では喜びだと思い込んでいたとしても)で、健康であるか、病気になるのかが分かれるのではないだろうか?と思ったのだ。
食べたいものを食べて元気に過ごしているお年寄りは、たとえば仕事でプロフェッショナルだったりする。「仕事=生き方」といったように、自分の仕事に誇りを持っている。愛があり、喜びを感じている。
あるいは、生きる目的が仕事でなかったとしても、畑仕事をしていたり、夫婦で仲睦まじく暮らしていたり、背筋をシャンと伸ばして生活していたりする。
要するに、皆生き生きと生きているのだ。
生きること自体が喜びであれば、生きるために食べることも喜びになるだろう。
好きなものを食べて元気に生きる、という好循環は、きっとそこから生まれるのではないだろうか、と思ったのだ。
もちろん菜食主義など、自分にとって重要な価値観があればそれに従うことも必要だ。ある程度は健康のために、栄養バランスを考えることも必要だろう。
しかし、いずれにせよ、基本的には好きなものをストレスなく食べて、元気に生きるのがどうやらベストのようである。
そしてそのためには、仕事でもプライベートでも何でも結局、自分の喜ぶ人生を創造していくことがきっといちばん良いのだ。事実かどうかはわからない。しかし少なくとも最近はそういう結論に至った。
かくして最近、そういう生き方に私は憧れつつある。
好きなものを好きなだけ食べて、元気に生きる人生を送る。そのためにはまず、自分の人生を自分の喜ぶものに創造していくことだ。
